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見えていたでしょうか、そう斜めに広がるのが最新の古、詳説に塔は全力の有島、規格に沿った大型のファーン、無数の手が寂びた銀色の筒、三夕で捏ねて必携される自然、端から端まで氷柱の抜く脱胎、触れれば望む平均の箔箱、叩く系統樹の唇。
(五つ足の上の空白の眼窩)
気付けば十月になってて菫ちゃん驚いた!
いや、カレンダーすっかり動かし忘れてたんだけどさっ!?
20日以上気付かないってもしかして私の部屋にこれ要らない?
まあいいか、どうせ年末近いから今処分しなくとも!
そういや大阪のマダムで、入り口の占いで金運5の日。
何か☆がごそっと。
地獄車掌空間の先にある自販機で出やすいみたいだね!
しかし☆3つは初めて見た!
まあいいものかどうかは別なんだけどさ!
っていうかこれもアクセ2つだしねぇ。
知り合いが55属性さっぱり出ないって嘆いてる感じ!
私はまだ遠いので構わないんだけどさ!
というかマダムの射撃クリティカル一撃で沈められたのが痛い!
凌駕しない事に無闇に定評がある菫ちゃん!
やる気がないんじゃなくてんー、多分休んでても大丈夫って思ってるんじゃないかなって気が!
いや本当GTは無駄に空気読んでくれてる気がする。
『テンジョウイの浜はテクスルの端が』
テクスルの端は、七十一のサザクの花束の下、鐘の時計の針じゃなかったっけ。
『鐘は動いた、ニシマの上に』
ヨルダール二十七水星のナナショの陸のペイルギリ乱生の時か。
するとだいぶ前だね。
『それから張り裂きが起こったのでテンジョウイの浜が出来た』
ああ、また地図を書き直さないと。
――高校入学時に契約を結び、今ではすっかり馴染んだ部屋でノートにシャーペンを走らせる。
先日一度だけ家に押しかけてきた従妹からすれば物が異様に少ないらしいが、これでも高校三年間で結構増えたのだ。
生家から出て、絶縁していた祖父の家まで行く間はほぼ身一つの状態。
やたらに母親から物を与えられていた生家に比べ、広くとも質素で物が少ない祖父の家は最初こそ落ち着かなかったものの、どうせ与えられていたものは全くと言っていいほど手を付けていなかったのを思い出してからは何の苦にもならなくなった。
あれが得たかったのは「自分が与えた」ということであって、「使っている」という事実ではなかったのだろう。
掃除がきちんとなされていたから埃こそ積もっていなかったが、動かされることなく詰まれるインテリアや玩具は若干哀れでもあった。
だからこそ、逆に何もないほうが落ち着いたのかも知れない。
今の部屋にある娯楽は精々カバーをはがした文庫本くらいだが、他にはノートがあればそれで十分。
毎日毎日名前も覚えられない大人と顔を合わせ会話をしなければならなかった生家と違い、祖父の家は酷く静かだった。
山奥の方にあった家は、見知らぬ人間が訪れることなどない。
そして祖父の知り合いと顔を合わせる必要は自分にはない。
精々、週に一、二度訪れる手伝いの女性と顔を合わせる程度だった。
そろそろ老年に差し掛かるその女性は、一人暮らしの家にいきなり増えた子供に対し詮索を入れる程に野暮というか無神経ではなく、無愛想でない程度の世間話をして自分の仕事をして帰る。
祖父とはほとんど会話がなかった。
二、三日の間、終日誰とも喋らない日がよくあった。
――誰とも、はある意味語弊がある。
『声』は生家を出てからもずっと耳元で聞こえていたから。
ノートに『親愛なる友人』である『声』を書き留めるのが習慣付いたのも祖父の家に来てからだろう。
生家にいた頃はぼんやりとしている内に『声』が言った事をそのまま反復してしまい、要らない心配をされる事がままあった。
祖父の家に来てからは自分の時間が増え――というかほぼ全て自己管理となり、ノートを開く時間をいつでも作れたのだ。
零れて口から吐き出してしまう前に、ノートに書き付ければいい。
書き出す事で整理が付いたものもそこそこにあった。
要領を得ない『声』も同じくらい多数にあったのだが。
今描いている地図も、一応後者だろう。
『親愛なる友人』が語る言葉の断片を繋げて見ぬ世界の地図を描く。
ただそれはしばしば変動し、一度たりとも完成したことはないのに、何度書き直したか知れない。
テンジョウイの浜は三十五くらいかな。
『サザクの花束は覆われたけれど、キスア半切には届かないくらい残った』
すると三十四程度。
前に描いた線を途中で切るようにシャーペンの芯が走る。
注釈と矢印。移動の過程。塗り潰す。
何度書き直しても、恐らく完成は無いのだろうなと思いながら前の線にバツを付けた。
そろそろ何冊目かも分からないノートが終わる。