PBW、シルバーレインのPC、鬼頭菫のブログ。興味の無い方は回れ右。Cの知り合いの方はご自由にリンクどうぞ。
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(去年の去年の去年の去年の――ずっと前の去年の今日から始まった話をしよう)
その子供は二人兄弟の片割れだった。
兄が菫で弟が薊。
母親は弟の物心がつく辺りからずっと片方だけにベタベタしてた。
兄は放って弟だけ構う。
大好き愛してる世界で一番大切なの云々。
優しく笑って慈愛に満ちた手で頭を撫でて抱き締める。
父親のお仕事は自分で作った宗教団体の管理。
その家系は代々妙な力――要するに蟲を持っていた。
だからって元から何かをやってた訳じゃない。
何とも分からずにただ引き継がれていたもの。
口が回る父親が、神様から渡された奇跡って形でそれを利用した。
兄弟も順当に蟲を受け継いで、父親は仕事の補強にした。
だから兄弟はずっと父親の作った神様の言葉だけは叩き込まれていた。
表向きだけでもそれは守らないといけなかった。
違う事をすれば表では周囲の大人――信じてる人たち――に窘められる。
裏では父親に怒られる。
小さい時なんて近くの人間が全ての狭い世界。
次第に慣れて、取り繕うのがうまくなる。
それが普通。
兄弟は外に出る機会も少なかった、学校は殆ど行っていなかった。
勉強は家でも出来たから。
同い年の子供の環境と比べられると面倒だったから。
神様の言葉とそれを守る人しかいない小さな世界で十分だったから。
ただ――先に能力に目覚めて「仕事」を手伝うようになった兄は、時々訳の分からない事を言い出すようになった。
頭が痛い。耳の奥で何かがうるさい。誰かが何かを言っている。
大人に言っても、体調の方は気遣われるにしても、他の事は気のせいで片付けられた。
下手をすると心が乱れてる、って神様の言葉を延々と聞かされる羽目になる。
だから弟にだけ、たまにぽつぽつ話していた。
ある年の今日、珍しく学校に行った帰りに兄弟は寄り道をした。
流石に学校までは母親も別の大人もついてこなかった。
二人とも高い所が好きで――馬鹿と煙は何とやら。ともかく高台に登るのが好きだった。
その場所は前に地滑りを起こしてて、一部分が崖みたいになっていた。
木が無くなっていて、空も下の町並みもよく見えた。
たまに出られたいつもの日と同じ様に、その日も兄弟はそこに行った。
いつもの日と違ってちょっとした喧嘩になった。
会話の流れは他愛もないもの、ともかく兄が弟に『お前と僕が変わっても何も変わらないよ』と言った。
弟の方は否定する。
子供の浅知恵が導き出した答えは単純、ランドセルや上着を交換して試してみようって事になった。
これでそのまま事が運んでたら、弟が現実見て少し捻くれるだけで済んだのだろうけれど。
人生って思わない所で思わない事が起こる。
帰ろうとした兄弟の前に、犬のリビングデッドが現れた。
それまでにも兄弟はそういうのは見ていたから、少しは焦ったけれど、どうにか出来ると思った。
ずっと言われ続けていた事のせいで、ゴースト――この単語は知らなかった――ともかくそういう存在は消さないといけない、って信じていた。
結果的にはどうにかなった。
ただ、兄がうっかり崖から落ちた。
それであっさり死んでしまった。
人間って強いと思えば脆い。
弟の方はそれですっかり混乱した。
周囲の世界は綺麗だった。
動物は飼ってなかったし、花瓶に生けてある花はいつも新しいものだった。
リビングデッドさえも、見た時点では死んでるもの、自分たちとは別物。
身近に溢れてる筈の死のプロセスを、全く意識していなかった。
生きてたものが目の前で死んだ、終わった事に頭が追いつかない。
悲鳴を上げて家に駆け込んだ。
夢であって欲しい嘘であって欲しい。
周囲の大人に言いもせずにずっと部屋に篭っていた。
誰かに言ったら、それが本当の事になる気がした。
言わなくても変わらなかったんだけれど。
馬鹿だね。
帰宅の挨拶をしなかったから、母親は兄の方が帰ってきたと思って放って置いた。
弟の方は言い付け通りに家に帰った時は知らせてたから。
それで、夕方を過ぎても『弟』が帰ってこないって騒ぎ出して――。
夜になって、結局死体が見付かった。
兄弟は双子じゃなかったけど、ほとんど年子、顔立ちや背格好も似ていた。
おまけに死体の頭は半分潰れてる、ランドセルの中身と上着は弟のもの。
両親は口を揃えてこう言った。
『薊に間違いありません』
元からちょっと鈍臭かった弟がぼんやりしてる間に、そういう事になっていた。
死んだのは薊。
『菫』の言った事が正しいって気付いて、とても困った。
しかもその証明は決定的な形で出された。
本当の事を言う前に、皆笑った。
父親は穏やかに微笑んでこう言った。
『別に薊はいなくとも、お前一人で仕事の役には事足りる』
彼にとって子供は単なる仕事の道具の一つだった。
だからどっちでも良かった。
興味も無かった。
周囲の人間は静かに微笑んでこう言った。
『薊さんは御姿の下にいらっしゃいます。定められた事です、悲しむ事はありません』
彼らにとって子供は奇跡を運んでくれる単なる対象の一つだった。
だから個なんて気にしてなかった。
子供が一人、それだけ。
母親は優しく微笑んでこう言った。
『死んじゃった薊なんてどうでもいいの。母さん、本当は菫が好きだったんだから』
彼女にとって子供は「誰かを愛してる自分」を見る為の単なる鏡だった。
だから割れたら新しいのにすればいいだけだった。
何もおかしくない、単純明快。
――さあ、どうなるか。
子供の狭い世界は壊れてもあっさりそこに在った。
自分が死んでも誰も困らないし悲しまない。
皆笑って大丈夫だと言う。
神様に定められた事だから大丈夫だと言う。
別に居なくても大丈夫だと言う。
周囲は狂ってた訳じゃない、誰も彼もが各人にとって合理的な判断を下しただけ。
どれも各人にとっては正当な判断だった。
けれど、世界なんてそういうもんだ、って割り切るのは、まだ出来なかった。
気が付いたら、『菫』が言ってたみたいに頭が痛かった。
耳鳴りがして、吐き気がして、血が抜け出てくみたいに手先が冷えた。
そこで子供は気付く。
『何も困ることは無い。だって私は菫だから』
兄弟喧嘩は、兄の勝ち。
敗者は勝者に道を譲る。
都合のいいことに、誰一人、近しい人物誰一人、『菫』でない菫に、「どっちでもいい」ものに、注意を払わない。
『薊』として立て直せないなら、『菫』として立て直せばいい。
この点、間違いなく子供もこの場の一員としての思考をしていた。
『本人にとって』合理的な判断として切り捨てた。
――ほら、菫の証明として、みみもとでだれかがわらいはじめた。
父の唱える虚偽の神を奇跡を母の告げる空疎な愛を好意を笑う『菫』で居ればいい。
自分が菫であるというその一点さえ貫き通せば、自分の事だけを信じていれば、壊れる事は無い。
ただひたすらに、自分が大切。
だからとにかく自分を固める。
そして自分は菫だから、菫を固める。
あの耳鳴りが、頭痛が、吐き気が、全身から血が抜けていく感覚が怖くて怖くて仕方が無いから。
自分が無くなる感覚が、死と相対した瞬間よりも怖かったから。
本当の事を言う前に、それは要らない事になった。
そういう事。
(子供が二人、死にました)
子供が変わっても、周囲の状況は変わりはしなかった。
育てば父親も裏を多く教えていく。
詐欺紛いの口先三寸、笑いながら紡ぐ「嘘ではない」言葉。
何かを言っても聞き入れてくれる訳が無い。
育っても母親は空っぽの愛を、子供を鏡にした自愛を注ぐ。
抱き締めてくる体温が気持ち悪い。
どれだけ言葉を尽くしても、「誰かを愛してる自分」に浸ってる。
周囲の大人は作り事の神様を信じてる。
彼らが真面目である程、優しい程、罪悪感は溜まっていく。
こんなのは嘘だと口にしても、子供の迷いだと優しく窘められるだけ。
人格者の父と愛情深い母と出来た大人に囲まれて育った子。
少々特殊とは言え、傍から見たら間違いなく幸せな子。
例え叫ぼうが喚こうが暴れようが、周囲の大人は優しかった。
父親が人の見えない所でたまに行う叩いたり殴ったりの行為すら、躾と言われればそれで済むくらいの軽いもの。
何か「不出来」な事をしでかしても、優しく笑ってた。
何か「相応しくない」事を言っても、穏やかに笑ってた。
そして噛んで含めるように、言い聞かせる。
そういう事は、するべきではない。
今はまだ理解出来ないかも知れないが、その内にきっと大切さに気付く。
神様がそうおっしゃっている、だから守りなさい。
優しく、何度も、繰り返し繰り返し繰り返し続けられる作り物の神の肯定と存在する自己の否定。
家の中では、子供が浅薄で未熟で異常。
だから誰も、子供の言葉なんか聞いてくれない。
年月を重ねれば重ねるだけ、実感として深く染み込んで行く。
誰も自分の言葉など聞いてくれない。
分かったように頷いても、「ですが」「だけれど」、否定する言葉が後に続く。
思う事を口にすれば、優しいけれども徹底的な否定にあう。
だから次第に、言うのを止めた。諦めた。
分かり合う事など無理。
歩み寄る姿勢など無意味。
他人に理解して貰う事など出来ない。
他人を理解する努力も投げ捨てた。
別に誰に分かって貰わずとも、自分だけ分かっていればいい。
諦めた言葉はありもしない『声』に変わって頭に響く。
自分が何だか分からなくなる。
菫を侵食するものは――頭に響く『声』
菫を証明するものは――頭に響く『声』
思考は緩やかに、けれども確実に偏り始める。
自己の保持は『声』の固執へと変容した。
「聞こえるもの」は「聞こえなければいけないもの」になった。
『声』を芯としてパズルみたいに組み立てた歪な自己を、「自分が作ったものだ」と後生大事に抱く様になった。
それが矛盾しているのも、緩やかに自分の首を絞めているのも無視して幸せだと笑う様になった。
菫が先か『声』が先か、そんな事すら分からなくなった。
(ただ、それだけの話)
「私は鬼頭菫だ」
「誰にも否定などさせない」
「誰にも折らせない」
「私の矜持」
「地面を這いずり何かを求め生に執着する自己を私は鬼頭菫と信じている」
「真実なんて主観で変わる」
「だから私は鬼頭菫」
「ほら、だって耳元で、こんなにも『声』が聞こえる」
「私は自らを肯定し寄る辺とし一切を捧ぐ者として拝跪しよう」
「私は鬼頭菫」
「私はそれ以外の私に価値を見出さない」
「私は私に価値を見出す」
「故に私は鬼頭菫」
「ほら、何も間違っていない!」
(一切は矛盾を孕んだ詭弁に過ぎず)
(呟く言葉は祈りか願いか暗示か呪詛か)
(捻くれた子供は更に捻くれて大人に差し掛かる年になっても、「これで幸せだ」と『声』と笑っているのだから、実にどうでもいい話だ)
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