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――お互いに全く益の無い。
「……うわぁ」
アパートの部屋に帰って開口一番出てきた言葉がそれだというのは、自分でも不本意だった。中には入らず、玄関扉の外枠に凭れ掛かる。
これから来るだろう疲労に備えてなのか、既に疲労したからなのかは分からない。
しかし、少なくともその疲労の原因として確実に挙げ得る相手は動揺も見せずに視線を向けてくる。
「何、少しは驚けば?」
「わー、驚いた!」
「棒の方がまだマシじゃないかってレベルの棒読みの感嘆有難うね。やっぱりムカつくわあんた」
義理か、それとも投げ遣りになったが故のノリか適当に言葉を返せば、紫煙と謝辞と罵倒が吐き出された。
煙草を揺らす女は、部屋の主であるかの様にテーブルに腰掛けている。
現在の部屋の主である自分はテーブルには腰掛けないが。
「不法侵入者に言われても!」
「ちゃんと大家さんから合鍵貰って来たんだからね?」
「ちょっと今から異議申し立ててくるけど、その間に消える予定とか無い?」
「あんたが出てる分だけ滞在時間は長くなるよ」
指先でキーリングを回した相手は無造作にそれを投げてきた。
返しておけ、という事なのだろう。受け止めれば手の中で鍵が音を立てる。
面倒なら来なければいいのにと心底思うが、言っても無駄なので肩を竦めた。
「速やかに早急に迅速に一言くらいで終わらせたいなって思う!」
「じゃあ手っ取り早く簡単にあっさりと終わらせたいから一言で。何で生きてるの?」
一瞬目を閉じたのは、今更この程度で衝撃を受けた訳では無く、続くやり取りに想像がついて嫌気が差しただけだ。
相手の顔は真面目だ、確認する必要も無い。
何処までも心底から真面目に行われる言葉のキャッチボール。
ただし双方デッドボール狙い。不毛だ。
「身体機能がまだ動いてて私が鬼頭菫だから! これでいい?」
「良くない」
「西岡さんの発言てもしかして無茶振りだけで出来てる!?」
「西野だっての。あんたわざとでしょ」
「うん、実は覚えてた!」
「死になさい」
「ちょっとその発火点の低さは異常じゃないかなって思う!」
「わざと煽ってる?」
「そう言われればそうかもね!」
「殺すよガキ」
何処まで本気か分からない西野の言葉に首を振った。
素直に殴る蹴るをしてくるのならばまだいいのだが、この相手は物を投げてくるから周囲に被害が及ぶ危険性がある。
まして今回は公園ではなく室内だ。投げてくるなら確実に部屋のもの。
結局被害は自分だけ回ってくるのだ、要らない事はあまり言わないのが得策だろう。
「それで、本当何!」
「ああそうそう。去年来たからいいかなーと思ったんだけど、あんた今年卒業だったじゃない」
「誕生日とか覚えてた割に大まかなとこ忘れてるね、何ヶ月経過してると!?」
「あんたの存在覚えてただけで自分に喝采」
「忘れてくれてもいいんだけど!」
「私の素晴らしい記憶力を衰退させるより、あんたが存在自体消えてくれる方が早くない?」
「イスタル五十のサミルとイージャの倒立思い出した」
壁に頭を寄り掛ける形で呟いた言葉は黙殺された。
携帯灰皿に煙草を押し付けながら、西野は言葉と共に最後の煙を吐く。
「で、どっかに消えてたら消えてたでいいかなと思ったけど、まだいたから様子見に来ただけよ」
「様子見って本当見るだけなら別に会う必要無くない?」
「顔見たら嫌味の一つでも言いたくなるじゃない」
「物凄くストレートに嫌がらせに来たって言ったよね今!」
「悪い?」
「私の気分的には非常に」
「それは願ったり」
「ロクでもない大人だね!」
顔を背ければ、煙の向こうで鼻で笑った気配がする。
匂いに対してはそこまで過敏ではないが、どうせなら換気扇を回すなり窓を開けるくらいしていてくれれば良いのにと思う。
「その年まで育ったならちょっとは分かるでしょ。人間の中身なんざ少し年重ねたくらいじゃ早々変わらないの」
「嫌な実例が目の前にいるしね!」
「所であんたは幾つになったらそのクソ失礼な口を改める訳?」
「少し年重ねたくらいじゃ早々変わらないんじゃないの!」
「じゃあ死になさい。馬鹿は死んでも治らないんだっけ?」
「前々から思ってたけど、罵倒のバリエーション少ない?」
「人を馬鹿にする言葉のバリエーションなんか持ってない方がいいわ」
「今凄く説得力の無い言葉が聞こえ」
「黙れ」
言葉を途中で断つ声に視線を上に向ける。
従妹も含め、此方を好いていない癖に喋りたがる相手というのは実に面倒臭い。
もう一本出そうとしたのを思い直したのか、西野は掌サイズの箱を鞄に戻す。
「ていうか今何やってんの?」
「古本屋で店員」
「……。接客出来たの?」
「今の間だと素だったね? 裏方だから、」
「ちょっと接客用の顔で『いらっしゃいませ』って言ってみてよ」
また言葉は切られた。
マスクを下にずらして意図的に微笑むと、親指で玄関の先を指す。
「出口はこちらですよ西野さん」
「ああ、その笑い顔ムカつくから嫌い」
「西野さんクレーマーか何か? まあ、私もこの顔は嫌いだけど」
「あら、自分大好きなあんたが珍しい」
「『この顔が嫌いな私』は大好き!」
断言してからマスクを戻した。家を出てからは碌々使った覚えもない表情だ。
相手に安心を与える為に共感を覚えさせる為に特化した良く出来た作り笑い。
その顔しか浮かべない人々が並べばもう区別をする気はなくなる。
――どうでもいい事だ。今は特に使う機会もない。こういう場合以外は。
「サチクのハル解放期じゃないんだからそろそろいいでしょう?」
「妄想自分言語じゃなくてせめて私に分かる単語で喋りなさいよ」
「いい加減帰らない?」
「言われなくたって帰るに決まってるじゃない、何当たり前の事言ってんの」
「……どうしろって言うんだ本当……」
聞こえない程度に呟けば、西野はテーブルから立ち上がった。
帰る気だと判断して体の半面を外に向け、玄関のスペースを広げるが、女はすぐ近くで足を止める。
「な」
に、という二文字の単語すら発せなかった。
腹に入った拳に無言で身を折る。
吐くものが入ってなかったのは幸いだろうが、胃液が咽喉まで上がって来たのか熱に似た痛みが伝わり口を押さえた。
無言で少し下に目線がある女の顔を見れば、笑っている。
「少し気が晴れた」
「…………。……気を晴らすの、に、殴らないと駄目なの」
「私ムカつく相手は殴る方向で生きてるのよね」
「そういえば前にも聞いた気がするね」
「何で覚えてないの、その若さでその記憶力の悪さは変でしょ」
「初対面で壁に頭打ちつけるくらい思い切り殴られたのは覚えてる」
「いつまで覚えてんのよあんた、思考が根暗じゃない?」
「何そのどっち選んでも私が罵倒される結果」
ああ全く、不毛だ。
ごんと扉に頭を打ち付けた自分の横を擦り抜けて西野は階段へ続く通路へ向う。
背中に何か投げようかという考えも過ぎったが、そんな労力を使うのすらも面倒臭い。
階段の手前で振り返り、小馬鹿にした様に手を振る西野からわざとらしく視線を外した。
瞬間、何かが飛んでくる気配に咄嗟に顔の前に手を翳す。
刃物だったら流石に洒落にならないと思ったが、手の中に収まったのは小さい箱だった。
先程鞄にしまわれたはずの煙草だ。半分くらい残りがあるらしく、振れば中で動く音がする。
視線を向ければ既にその姿はない。
が、安堵する間もなく外から声が聞こえてきた。
「ちょっと、馬鹿」
無視して中に入りかけたが、再度上がって来られる危険性を思い浮かべて渋々ながら廊下から地面へ軽く身を乗り出した。
この相手に馬鹿といわれる理由は思い浮かばないがそんな事を指摘しても無駄だろう。
こちらを見上げた女は平然とした調子で挑発するように指を振る。
「返して。最近高いんだから」
もういっそこの煙草が原因で何かの病気に罹患してしまえばいいのに、と思いながら無造作に投げた箱はあっさり手に収まり、元の持ち主と一緒に角を消えて行った。