PBW、シルバーレインのPC、鬼頭菫のブログ。興味の無い方は回れ右。Cの知り合いの方はご自由にリンクどうぞ。
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(白い壁と天井が見える)
椅子に座った自分。
目の前には父がいる。
何か喋っている。
「……聞いていますか?」
問いには素直に首を振った。横に。
聞いていなかったのだから。
それに父は穏やかに笑い、菫の頭に手を伸ばした。
静かに乗せられた掌は、そのまま髪を掴んで机に叩き付ける。
鈍い音。
突然に広がった木目の茶色に注意が向いた。
痛み自体は、少ししてから伝わってくる。
押さえつけるではなく、父はあっさりとその手を離した。
「お前のした事は、誰にとっても不利益。時間の無駄、手間を取らせるな」
「…………」
「自分の立場を鑑みて、余計な事は考えるな」
顔を上げれば、先程までと何ら変わらない笑みがそこにある。
ぼんやりとそれを見上げる。
「分かりましたか?」
今度は首を縦に振った。
真実理解してはいないのだから、頑なに横に振っても良かったのだが、それに何の意味も無い事ぐらいはとっくの昔に学習している。
単語の並びの意味だけは理解した。だから嘘はついていない。
この男が使う詭弁と一緒だ。
少しだけ似た顔の男は僅かに笑いを深め、菫の前髪を梳く。
机に打ち付けた赤い痕は、それで隠れた。
「心穏やかにいれば、自分が何を為すべきか理解出来るでしょう」
とん、と机の上に、臙脂色をした硬表紙の本が置かれる。
何百回読まされたか覚えていないし数えてもいないが、少なくとも内容を半ば暗記する程度に見慣れたその色に目眩がする。
とてもすばらしいかみさまのことばです。吐き気がする。
その後、更に二言三言何か言われたが、聞き流して頷いている内に終わったらしい。
気が付けば部屋から出ていく背中が見えた。
扉が閉まり、それに合わせる様に菫は机に突っ伏す。
がちゃん、と鍵の下りる音がした。
天井に備え付けられたスピーカーから、父……先導が教えを説く声が流れてくる。
元より教えを聞き、本を読む為に存在するこの白い部屋には、机と椅子しかない。
さあ、多分今日は、三時間は出られない。
――ああ、また失敗した。
木製の机は、半端な温さを頬に伝える。本来ならば此処には戻ってくる予定ではなかったのに。
やり方が拙かった。もっと考えて行動しなければ。
衝動で逃げた所で、今回のように息切れして立ち止まるのが関の山。
失敗する回数が増える程、反比例して機会は減るのだ。
動きは慎重に。加えて、何処かへ根回しをしないといけない。
でも何処に?
友人?
呼び出された時に稀に学校に行く程度の菫にそういった存在はいない。
いたとしても、こんな面倒な他人の子供を匿う親もいなかろう。
親類縁者は見た事が無い。
前に微かに聞いた話によると、ほとんど全てがこの家とは縁切りをしているらしい。
実に正しい判断だ。
ロクでもない家だ。
他の問題点としては、見付かるまでの時間が非常に短い事。
十一歳の子供が全力で走った所で、大人には勝てない。
時間が少なければ少ない程、逃げられる距離は限られる。
先回りなど車を使えば幾らでも出来る。
……ならばどう?
流れる音はいつの間にか導枝――先導に続く役職――の講話に切り替わっていた。
続きが出てこない頭に、その声が入り込んでくる。
御言葉を唱える導枝。
復唱する同志。
声が響く。
重なる声。
声が響く。
復唱する声。
声が響く。
御言葉を唱える声が重なる、復唱、重なる声、耳元で親愛なる友人が笑っている、七十一のサザクの花束の下で鐘が鳴る、同志の声、復唱、御姿の御言葉、復唱、重なって響く、声が重なる、沢山たくさん、耳元で何かが、ざりざりざりざり、声が響く、友人が笑う、復唱、御言葉、同志が重なって、平穏を、望ましいのは、重なる声、復唱、沢山の声が重なる、御姿を尊ぶ声、耳元で友人が泣く、浅い海端で夜明けの日暮れに風見鳥が壊れたと、何かが擦れる音、穏やかなる精神を願う言葉、色々な声が重なって、頭が痛い、復唱、御言葉、だんだん、血が、抜ける様な、感覚、吐き気が、沢山たくさんひとのこえ、響く声、重なって響く声、手先が冷える、耳元で何かが鳴り響く、ざりざりざり、ざりざり、親愛なる友人が笑う、テスクルの端は時計の針に結んであるんだ、御姿の存在、声が響く、復唱、同志の声、あたまがいたい、沢山の声、声が聞こえて、声、こえ、声が、こえがたくさん、
声が
「――……あああああああアアアアッ!」
誰かの悲鳴。
息切れ。
そこでようやく、叫んでいた誰かは自分だった事に気付く。
肺の中の空気が全部出た気がする。
苦しい。おかしい。耳元で誰かが笑う。彼は彼女は誰だ。
いや誰もいやしない。じゃあ笑うのは誰。重なる声は誰。
耳元で囁くのは誰。
今、荒い息を吐いているのは誰。
突っ伏した状態で、腕が、掌が視界に入る。
動かそうと思えば指が動くけれど、「動かそうと思った」のは誰?
耳元で笑う彼は? さっき叫んだのは? 叫んだ? 果たして本当に、誰かが叫んだのだったか? 記憶違いではないのか? その記憶違いをしたのはしているのは誰?
頭の中で思考と言葉と沢山の声が渦巻いてまとまらない、手だけが馬鹿みたいに握ったり開いたりを繰り返している。
どうでもいいじゃないか、誰でもいいじゃないか、どうせこんな声、誰も聞いてないだろう?
頭に浮かんだ諦めの言葉に、苛立ちが沸騰した。突っ伏したまま机の上の本を叩き落とす。
茶色にも似た深い赤が白い床に落ちる。
目が覚める。
「……駄目だ」
今度は意識をもって発した声に、ようやく耳元の『声』が少し落ち着いた。
――確かに他人は誰も聞いていないかも知れない。
けれどもこの世で只一人、誰よりも大切な自分自身が聞いている。
ならば良いじゃないか。
誰も聞いてくれなくとも。
ゆっくり、息を吐く。
僕は菫。
私は菫。
さあ、何が出来る。
目を閉じれば、『声』の一つが返ってきた。
(ルルルルルルルルア、ア、アクサの奇跡を)
(僕は奇跡は起こせない)
(イキャのハジオは行えた)
(あれは"気類無き鞘"のお陰だろ。あれは人じゃない)
白い部屋も目を閉じれば真っ黒に変わる。
スピーカーからの音は途絶えた。
どうせエンドレスで流れるのだろうから、ひと時に過ぎないにしても声が消える。
考えろ。
知識の少ない知恵の浅い子供にしか過ぎない自分に出来る範囲の事を。
考えろ。
奇跡なんか起こせない自分が出来る範囲の事を。
息を吸った。
吐いた。
目を開いた。
――大丈夫、大丈夫、私は菫。それだけ分かってれば、這いずれる。
耳元で、『声』が、親愛なる友人が、笑って同意した。
(白い壁と天井が見える)
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