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(何を求めるというのか)
「……本当にこんなものが効くの?」
意味不明な字──もしくは単なる図形の組み合わせが描かれた、短冊状の紙を摘み上げて菫は尋ねた。
これならばまだ、菫が聞いた『声』を書き連ねたノートの方が読める。
最も、聞いた『声』は一度菫の頭を通っているのだから、無意識とは言えど綴る文字はある程度菫の頭で処理できる物になっているのだろう。
既存の言語ではない、或いは十を少し越した程度の年齢でしかない菫では処理出来ない単語は、理解出来ない図形となって現れるのだから。
それを鑑みると、これにも意味があるかも知れないと考えたが、即座にそれはないという確信めいた思いが打ち消して終わる。
ともかく息子の声に父は顔を上げた。
穏やかな笑みで首を傾げる。
「効くかどうかは、重要ではない」
「へぇ?」
指先で弾くようにして紙を飛ばした息子を父は諭す。
「それを求める人はね、菫。効果云々よりも、自らの寄る辺を求めている。人は寄る辺があると安心する。それが巨大なものであれば、揺るがないものであれば余計に」
「──ああ、神様とか!」
明るい調子とは裏腹に、揶揄嘲弄する響きの混じる声。
たった今弾き飛ばしたのが、その『神の御言葉』を記した有り難いお札である事を知っているからこそ。
その裏側を知っているからこそ。
嘲る。
「そう。『神様』だ。私たちは、迷い、惑っている人たちに寄る辺を提供しているのだよ。精神の平穏と安定をね」
「有料で?」
「善意の喜捨、だ。覚えておきなさい」
「きしゃ?」
「寄付、と似た様な言葉だ」
「……あ、分かった、それって『物は言いよう』って奴でしょ!」
教室を装い挙手して笑う息子に、父は頷き、壇上で、彼を信ずる人々の前で説法するかの様に椅子から立ち上がる。
見る人に寄っては、それは確かに威厳ある宗祖の姿であっただろう。
「そう、物は言いようだ。だけれども、人は時によっては、たった一言で救われる」
「……どうだか」
だが、鼻で笑う菫にとってはただの詭弁を操る一人の人間に過ぎない。
ただ穏やかに、否定も肯定もせずに、父は笑う。
「私たちは寄る辺を与える。彼らはそれに自ら対価を払う。──実にいい関係だろう?」
父は自らが語る神を信じてはいないし、信じる人々を導こうとも思っていない。
ただ、『安心』という名の商品を売る商売人に過ぎない。
床に落ちた紙切れに視線を落とす。
それは僅かばかり上質の和紙を使った、落書きでしかない。
しかしこれを本気で有り難いと考えて拝んでいる相手を、菫は飽きるほど見ている。
信心を真っ向から否定する気はないし、父の言った様にそれが良い面に働く場合もあるだろう。
だけれど、実在も不確かな存在に全幅の信頼を寄せ、全てを擲つという姿勢は理解出来ない。
「皆が幸せになれるんだよ。彼らも、そして私たちも」
或いは彼らが真実、信頼し、身を捧げているのはこの男なのだろうか。
計算された奇跡を起こし口先で相手を懐柔し上辺の笑顔と偽りの救いを差し伸べるこの男。
そうだとしたら──更に理解不能だ。
実在しているこの父が信頼に値する人間か。
答えは一言で済む。
否。
菫は無言で肩を竦めた。
(つまる所、信頼すべき寄る辺は自分自身しかないと彼は理解する)